絶対騙されないと思っていた僕がマルチの勧誘員に気を許しちゃったお話

 

f:id:Suiropoke:20210325213421j:image

※内容には若干のフェイクを含みます。

 

こんにちはこんばんはおはようございます。

すいろと申します。

3月も末となり、4月から進学、就職、転職や異動などで新たな環境での生活がスタートし、期待に胸を膨らませている方も、不安な気持ちを抱えている方もいらっしゃるかと思う。

今回はそんな時期に警戒しなきゃいけない、とあるグループについて僕の経験談をお話させていただきたいと思い筆を執った次第だ。

 

Twitterである程度の絡みのある人や一緒に飲んだ事がある人、通話した事がある人は知っている事が多いけど、僕はかなりお察しな人生を歩んでいる。

数年にわたる僕に対する日常的なディスカウント行為が原因で両親との関係はぎくしゃくとして未だに完全に修復が出来ず地元との繋がりはほぼ途切れてしまっているし、

強いコンプレックスを抱えながら大学に通いなんとか作れた数少ない友人も地元に帰ったり、転職や転勤で散り散りになって中々連絡を取り合う機会もなくなった。

新卒で入った会社はブラック企業で2年半ほどで逃げるように退職し、転職した今の会社に入社した直後にこれまでに蓄積していたものが弾けて僕の心は一度壊れてしまった。

なんとか回復した今、職場には立ち直った自分を認めてくれる人も多いけど、未だに冷たい視線を送る人も僅かながらいる、そんな状態だ。

今の僕はTwitterでの人間関係をメインに生きているが、Twitter上で女子高生を演じて遊んだり、哺乳瓶にストロングゼロエナジードリンクを注いで幼児言葉を使ったりしないとコンプレックスやストレスの逃げ道を作れない。承認欲求も人一倍強く、そのせいで人から距離を置かれてしまった事もあるという自覚もある。

長々と書いたが、要するに過去の人間関係というものがほとんど存在しないような人間なのだ。

 

では、過去が無いのならこれから作っていけばいいのだか、言葉にすると単純なようでこれが中々難しい。

交流会、街コン、居酒屋での会話、掲示板サイトの友達募集、マッチングアプリなど様々な事にチャレンジしていったが、残念ながら常識を欠いた人や冷徹な人と僕はたくさん出会ってきた。

相手と会話が成立せずに関係が続かないのはまだ可愛いほうだ。

その場にいないグループメンバーの悪口で盛り上がったり、時間や場所を守らないのはザラにあったし、

正直に自分の心の状態を打ち明けた際には、「どうせ元から暗いんだから治るわけが無い」「障害者としての生き方をしろ」といった言葉を貰った経験さえある。

 

そんな心の弱った人間に、必ずといっていいほど言葉巧みに近付いてくる者がいる。

所謂、マルチ商法や宗教といった類のグループに所属する人間だ。

数回会っただけで洗剤や浄水器の実演をされたり、見知らぬ人間を2,3人呼んで僕を取り囲むようにして如何に自分達のグループが仲間との絆を大切にした素晴らしい集団であるか、そしていつか自由な時間を手に入れると光の消え失せた目で語る。そんな場面には何回も遭遇した。

中には、「友達から勧められたビジネスがあるんですが始めてみませんか?」というド直球なLINEを送ってきた人もいたっけな。

そんな経験を積むうち、僕は人の言動のちょっとした違和感には敏くなっていって、なんだかんだでその手の勧誘には一度も乗ることなく生きていくことが出来た。

心の状態も時間が経つにつれて回復した事もあり、絶対に自分は旨い話に騙されない、そんな自信があった。

 

マッチングアプリの失敗談やマルチ商法の勧誘員に出会った事を度々僕はTwitterに面白おかしく投稿していたが、本当は辛さから逃避するための行為だったんだと思う。

年代が近い人は立派に家庭を持っていて親になっていたりするし、「地元の友人と集まって飲み会をした」「両親にプレゼントを贈った」といったツイートを見る度に、どんなに望んでもそんな日常を手に入れられない自分は努力不足のダメな奴なんだと現実を突き付けられているような気持ちになっていた。

フォロワーさんに人間関係の悩みを相談した際、「すいろさんは努力じゃなくて、お祓いが必要だと思います」という言葉を貰ったことがあるが、あれは冗談ではなく本気で僕を心配してくれていたのだと思う。

 

昨年のコロナ自粛ムードの真っ只中、新しい人間関係を開拓する事は一休みとして自分一人でも生きる道を考えようかという時期、僕のLINEにあるメッセージが届いた。

マッチングアプリで知り合った女性からだ。

恋愛の関係ではないが、好きな本や映画の趣味などが近く、常識的な感覚を持った女性で度々一緒に食事等をしていた間柄であり、コロナ自粛の関係で連絡をとる頻度がめっきり減っていた、まぁそんなところだ。

内容は「友達が街コンのイベント運営に携わっている。男性参加者として出席してくれないか」というものだ。

コロナ禍という事と、自分一人でも生きる自信を付けたいという時期だったのであまり参加には乗り気ではなかったものの、

対等に自分に接してくれた数少ない人という恩もあるし、この機会で友人や趣味の幅が増えるに越したことはないと思い参加する事にした。

参加した結果は判ってはいたが惨敗だった。

男女を問わずマルチ商法の勧誘も短期間で受けたし、スケジュール調整の会話すらまともに成立しない。

判ってはいたが……対等な人間関係を作る事さえ自分には困難なのかと改めて思うと吐き気がした。

そんな中、唯一僕とやり取りが継続した人がいた。イベントの中で短時間だが会話をした、Aという男だ。

彼は体格の良い、如何にも体育会系という風体だが口調は穏やかで常に低姿勢な傲慢さを一切感じさせない男だった。

飲食店の経営者を名乗るAは自身の趣味を思う存分に語ってくれ、そして僕の話にも平等に耳を傾けてくれた。

要するに「普通」「当たり前」の接し方をしてくれたのだ。それがその時の僕には本当に嬉しかった。

Aは「君と共通の趣味をしてる知り合いを何人か知ってるよ。会ってみるかい?」と僕に提案してくれ、

ひょっとしたらこのフレンドリーさは勧誘の類かもしれないと頭の片隅にはチラつきつつも、本当に怪しかったらその時に距離を置けばいいと考えて承諾することにした。

 

次に会った時、Aに連れられたのはボードゲームのカフェだった。

(あー、これはキャッ〇ュフ〇ーゲーム※とかをさせられるやつだ…)と身構えたがそんな事はなかった。

普通にパズル要素等のあるボードゲームを5 名ほどで遊び、好きな映画や漫画の話題などを交えた普通の付き合いでその場は終わったので、とても安心した事を覚えている。

※人生ゲームみたいな感じのゲームだが、資産運用等をわかりやすく説明している要素がありマルチ商法の勧誘の入り口によく使われる。

 

ところがどっこい。僕はこれくらいでは人を信用しない。マルチ商法の勧誘員はどこか言動に違和感があるものだ。

相手に興味を持ってもらうため、プロフィールを盛っていて以前と話が食い違っているとかはザラだ。そこで僕はカマをかけた。

「Aさんって体格良いですけど、スポーツ関係の仕事してるんでしたっけ?」と尋ねると、

「ああ、僕は運送関係の仕事をしてるから、腕っ節には自信があるよ」とAは答えた。

………………飲食店経営じゃなかったんかい!

見事に一発で黒判定である。Among Usなら即宇宙に放り出されている。

 

その日の帰宅後、僕は考えた。

Aは低くない確率で、何らかの勧誘に絡んでいる。あと数回会えば本性を出すかもしれない。

だが、集められたその他のメンバーには変わった様子は無かったし、その人達まで黒いとは限らない。

キャッ〇ュフ〇ーゲームのようなマルチ商法の勧誘に使われるゲームもしていないし、ひょっとしたら彼は副業のような感じで仕事をしていて飲食店経営も運送業のような仕事も両方やっていて会話の流れでそう答えたのかもしれない。

第一、この年齢になって新たな友人関係を求めるのであれば、多少なりとも我慢は必要になるだろうし、相手の違和感一つを取り上げて関係を解消しては、次にまともな関係をいつ築けるかという保証もはっきりと言って僕には無い。

今考えるととても馬鹿らしい事だが、僕はAの善意を信じて表面上は仲良くする選択肢を選んだのである。

 

Aとはその後、ある程度の距離感を保ちつつも数回食事に行ったりという交流を重ねていたが、ついにその時は来た。

自分が所属しているグループを紹介したいと渋谷区の一等地にあるタワマンに招かれたのである。

ここまで来ると、予想通り過ぎてああやっぱりなという感じであった。

適当な理由を付けて帰るかーと思ったが、おっぱいデカいねーちゃんが出迎えてくれてグループの概要を説明してくれるとの事なのでそのまま聞くことにした。

 

グループの概要はこんな感じだ。

・このグループはマルチ商法の被害者救済のような形で立ち上げられている側面も強い。

・普通にメンバーで遊ぶだけもよし、商材を使って副業のような形で活用するもよし。

・ゲームなどのオフ会や仕事に対する取り組み方の講演会、手話教室、自己啓発などを手広くやっている。

・複数人をグループに勧誘すると会員のランクが上がり、ボーナスが支給される。自分の紹介で入ったメンバーが成果を挙げると自分にもボーナスが入る。

立ち上げた理由がマルチ商法の被害者救済なのに、やっている事はそのままマルチ商法じゃねーかとツッコミどころ満載である。他にも水素水が云々とか、投資の時代がとか香ばしい事を言っていたと思うが、ねーちゃんのニットおっぱいを眺めていたのでその辺はよく覚えていない。

まぁ普通に遊ぶだけなら無害だと思ったし、勧誘も強引な感じではなかった。会話をしていて楽しかった事も事実なのでグループに正式に加入するという返答は一通りのイベントに参加してから決めると曖昧な返答をしてその日は終わりとした。

 

それ以降のグループとの交流は意外と楽しかった。オフ会ではパーティーゲームボードゲームをしたりといった少し前の自分には遠かった事が出来たし、

メンバーは自分の仕事や家族との関係の悩みも真剣に聞いてくれた。甘い言葉を並べてグループに誘い込むという感じではなく、「すいろ自身が自分で決断して自力で強くならなくてはいけない」というような言葉を最終的に掛けてくれたので彼らは下心のない、紛れもない真面目な善人達だったのだと思う。

彼らと会話をする中で自分の思考も整理されていき、新しい趣味にチャレンジする意欲も数年ぶりに湧いて間違いなく僕はグループに関わる以前よりも遥かに明るさを取り戻していく事が出来たと思う。

 

グループに正式に参加してもいいかもしれないと思っていたが、やっぱり無理だなと決断するその日は意外と早く来た。

仕事の取り組み方に関する講演会に参加した時だ。

内容は、

「ほとんどの人は子供の頃、大人から無理だと自分の限界を決められ心に無意識にブレーキを掛けるようになってしまっている」

「他人と比較せず、過去の自分から成長した点を意識する」

「何かを決断しただけで凄いことなんだから、自分を肯定的に見てあげるべきだ」

といった自己啓発系のセミナーや本でよく見るような内容だったが、確かにこれを一つ一つ実践するのは難しいよなぁ、そう納得していた矢先、会場の空気が変わる一言が講師から投下された。

「じゃあ、心のブレーキを外そう。今から、勧誘活動を知り合いに電話でやれ。成績を挙げた者には景品を出す」と。

その後の会場は大騒ぎだ。全員が血眼になり、手当たり次第にLINEメッセージを送信し、手帳を開いて過去の連絡先に無差別に電話を掛け続ける。切迫詰まったメンバーの姿は僕とゲームで遊んでくれたり、悩みを聞いてくれた人達と同一人物には到底見えなかった。

僕は正式なメンバーではなかったので、過去にマッチングアプリ等で連絡先を知っている人数名に連絡したがよい返事が返ってこなかったという事にしてその場は流せたが、正式なメンバーだったら勧誘の成果を挙げられないと叱責が待っていたのかもしれない。

仮に僕が家族や過去の友人との関係が良好だったとして、他のメンバーのように血眼になって勧誘の連絡を取れただろうか?僕はどうしてもその姿が想像が出来なかった。僕はこの人達と同じペースで歩んでいく事は出来ないと思った。

僕が欲しかった「対等な関係」は終わりを告げたのだ。

 

Aには一緒に何回も遊んでくれた恩があるし、無言で立ち去る訳にはいかないと思い、きちんとした言葉でグループには参加出来ないと自分の気持ちを伝えた。

意外にも引き留められなかったし、僕に対する恨み言の一つもなかった。多分無言で立ち去られる経験の方が遥かに多かったからだろう。僕は長い間疑っていたが、本当にAは初めから最後まで、何の悪意も無いただの真面目な男だったのだと思う。

 

こうしてとあるグループと僕の交流は終わった。

振り返ってみると、僕も彼らを恨んだりする気持ちは一切ないし、むしろプラスになったと思う事の方が多い。

自分の過去を正直に話しても受け止めてくれる人がいると判ったし、やりたい事が消えかけていた自分の心を立ち直らせてくれたのは紛れもない事実だ。両親とももう一度しっかりと向き合おうとも思えた。

また、彼らのお陰で若干ながら、自分のこれまで歩んできた人生にも意味があると思え、歳を重ねた人間として学校生活や人間関係の悩みを抱えたフォロワーさんの相談に応じ、感謝の言葉をいただくような機会も増えた。

多分、今はこれで良いのだと思う。

 

何度振り返ってみても、グループのメンバーには悪意はなく、むしろ善人ばかりが揃っていたように思う。

彼らもきっと、自分のように過去の人間関係に苦しさを抱えていたり、理想像とかけ離れた自分自身や不誠実な他者をどうしても許すことが出来なかった故に道がほんの少しだけ逸れてしまったのだろう。

そもそも勧誘の流れも、僕の不安を煽るとか強引なやり方ではなく、僕が人間関係に飢えてずるずると関係を続けてしまったからという自業自得に近い感じだしね。

 

長々と書き連ねたが、結局僕が言いたいことはマルチ商法を批判したいとかじゃなくて、「今ある、当たり前だと思っている人間関係を大切にしよう」という事だ。

今の世の中には、「誰とでも仲良くなる必要はない」とか「自分を尊重しない人は切っていこう」といった言葉が溢れているけど、その言葉には「どんな時も自分を許容してくれる存在がいる」という前提が恐らく隠れている。

自分を許容してくれる人がいないと気付いた時の人の心はあまりにも脆すぎるし、過去の人間関係を必要以上に美化してしまう。

正しい意味で「人に期待しない」という言葉を実践するのはソートー難しいのだ。

 

文の感じ方は人それぞれだ。

この記事の内容に何の共感も感じなかった人、無縁の事に感じた人はストゼロ片手に記憶の彼方に流してくれたらいい。というか一番こうであって欲しい。

これから新しい生活を迎える人にはこういう事もあるのだと頭の片隅に留めてくれたらいい。

今まさに同じように苦しんでいる人がいたら、背中を押す何かの糧になればいい。

何の影響力も持たない自分だか、何とか今こうしてしぶとく生きられている者の精一杯の努めとして経験を文章に残してみた。

 

長文にお付き合いくださった皆様のご健勝を心より申し上げます。